伊香保温泉の歴史
伊香保温泉の発見は1900年前とも1300年前とも言われている大変に古いもので、万葉集にもその名が登場しています。
万葉の時代、「伊香保」は今の榛名山一帯を指していたようで、当時から多くの歌が詠まれてきました。
「伊香保」の名前の由来は諸説あり、その語源は、アイヌ語のイカホップ(たぎる湯)からきているとか、上州名物のイカヅチ(雷)と、燃える火(ホ)と関係があるなどと言われています。
現在のような温泉街が形成されたのは戦国時代のことです。長篠の戦いで負傷した武田兵の療養所として武田勝頼が当時上州を支配していた真田昌幸に命じ、整備されたことが始まりで、伊香保のシンボルとも言える石段もこの時にできました。
明治時代以降は竹久夢二、徳富蘆花、夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情など文人に愛され、伊香保を題材にした作品も生まれています。
現在どこの温泉地でも見かける茶色の「温泉饅頭」発祥の地とも言われ、明治44年から売り出されている伊香保の名物「湯の花まんじゅう」と呼ばれています。
戦後は歓楽街温泉としても栄え、その名残で伊香保には芸妓組合が現在も存在しています。
また平成8年には伊香保温泉事業協同組合の設立により、無色透明で豊富な湯量を誇る『白銀の湯』が利用され始めました。